おじいちゃんのゴーヤ畑

 昨日6/28はおじいちゃんの一周忌法要だった。
私の両親は愛媛の弟の所へどうしても行かなければならなかったので
私が一人で行った。いつもは父の運転でおじいちゃんの家へ
行っていたけれど、珍しく電車とバスで行った。
バス停から坂を上がり、長い長い一本道を暑い中ずっとずっと歩いていた。
すると、おじいちゃんが長年世話をしてきた家庭菜園が見えてきた。
家から道路をはさんだすぐにある小さな畑。この時期は沖縄出身の
おじいちゃんはゴーヤなどをたくさん植えていた。

 ゴーヤはヘチマみたいにつるが伸びる。だからフェンスのようなものを
手作りで器用に作ってつるをはわせていた。ところが遠めに見えるその畑。
いつもならバッ!!と草木の色が目に飛び込んでくるほどに生い茂っているのに
今年はすっごくこじんまりとしていて驚いた。

 家に入ると私以外のメンツは勢ぞろいしていた。
お坊さんのおつとめも終わり、何てことない話を親戚同士でした。
私はどうしても気になったので、その畑の事をたずねた。
すると父の姉である超しっかり者のおばさんがこう答えた。

「あのおじいさんは決して自分が野菜を好きな人ではなかった。
でも、孫が喜んでくれるからと思って毎日暑くても寒くても
一生懸命畑を耕したり、水をやったり肥料をやって一生懸命
世話をしていた。だから実も大きくて立派だった。
でも今はおばあさんが一人でやっている。
おばあさんはこんなことしたって孫は家に来ないし、誰も喜ばないのに
何でこんなことしなければならないの、と思いながらやっているから
実も小さいし数も無い。作る人の思いとパワーが野菜にも反映されるのよ」

 私はこの言葉にものすごくショックを受けた。
思えば私はおじいちゃんにありがとうの一言でも言ったことが無い。
正直、作りすぎて余ったからもらっていたくらいに思っていた。
おじいちゃんの思いやりに対して、私の冷たさが憎かった。
初めて知ったおじいちゃんの思いに私はただただ胸が痛むだけだった。
おじいちゃんはゴーヤとか野菜が大好きなんだと思っていた。
たまねぎだのじゃがいもだのきゅうりだのいろいろと。
思えば季節ごとの野菜をくれていたのに。

 ああ、本当に去年亡くなった時もおじいちゃん孝行を一切してこなかった
ことをどれだけ悔やんだことか。未だにそれをふとんに入ってから思って
涙で眠れないこともあるのに、またその念が強くなってしまった。

 本当に自分の最低さをあえて正直に記しておこう。
私はおじいちゃんのお見舞いに行くのが本当に面倒だった。
友達と約束があるのにその前に父に
連れられて見舞った。パパッと済ませてすぐに友達の所へ行っていた。
言い訳だけど、私はこの年まで身近な人が亡くなることが無かった。
本当にいつまでもおじいちゃんもいてくれるような気がしていた。
だから人の死というものが実感できなかった。この入院が最期だ、と
分かっていたのに心のどこかでそんなこと無い、と。

 今、入院中の事をいろいろ思い出す。
何人かいる孫の中で明らかに私を一番かわいいと思ってくれていた。
それは今ならよく分かる。なのにどうして。一度、お見舞いに行ったときに
おじいちゃんが昏睡状態でみんなが耳元で「お父さん!目を覚まして!」とか
「オヤジ!!起きてくれ!!」
弟が「おじいちゃん!!○○やで!!起きて!!」などと
言っても一切何の反応も無かったのに
私が「おじいちゃん!!○○やで!!起きて!!」と言ったら
パチッと目を開けて意識が戻った事があった。父は
「やっぱり孫の力ってすごいなあ」と言っていたこと。
 おじいちゃんはもう自分の最期を悟っていたようで、
私に泣きながら「○○、変な男につかまるなよ」と言ったこともあった。
 本当に最後に見た生きている姿は・・もう言葉は発せられなかった。
「またくるからね」と言ってうんうん、とやさしく笑顔でうなづく姿。
あの時も友達との約束があってサササと帰ってしまったっけ・・
思えばそれが最後って一体何なんだろう、私は。

 今、過去に戻れるなら自分にきつく言いたい。
こういう事になるんだからちゃんと孝行しておけ!
お見舞いもきちんと心を込めて行きなさい、いなくなってから
こうして後悔したって本当にどうしようもないんだから!!

 昨日は父にはこの事をどうしても話したくなく、私は
お風呂に入っている間にすすり泣いた。そしていつも大体その間に
父は寝るので母に話した。泣いている私に母は
「まあねえ・・・でも大体どこでもおじいちゃん達の気持ちと
孫の気持ちって温度差があるのよ。おじいちゃん達はあんた達のことを
かわいくて仕方なくても、あんた達は友達とかいろいろなプライベートな
事の方にどうしても目が向いてしまう。仕方の無いことよ。
今、おじいちゃんに対してそう思っているだけでもいいじゃないの。
これからはその分、生きているおばあちゃん達にいろいろ
してあげたらいいのよ。そんなに気にやみなさんな」

 と言ってくれた。とはいえ、近くに住んでいたので
遠くてなかなかできない人は仕方ないけれど、よく
今度とまりにおいで、一人でおいで、と言ってくれていたのに
一度も行った事が無かった。
 いつだっておじいちゃんに会いにいけば満面の笑みで
帰るまでそれが途切れることはなかったのに。
敬老の日も何もしていないし、何一つプレゼントもしてこなかった。
いろいろと考えれば考えるほど自分に腹がたち、おじいちゃんに
対して謝りたい、出来る事なら今、何か喜ばせてあげられる
事をしてあげたいのに。

 おじいちゃんのことについては私はきっと一生後悔し続けながら
生きていかないといけない。

 おじいちゃん、本当にごめんなさい。
今もおじいちゃんのことを思うと涙が止まりません。
その分おばあちゃんを大事にするので許してください。
本当に本当に私はちっとも優しくない孫でした。