母親孝行旅行

hamarishow2008-09-19

行ってまいりました。
9/11〜19まで。
旅の内容はこの日記ではなし。メンズの話を珍しく。

 思いっきり普通の日&1週間以上とのことで
メンズに関しては諦めていました。特に安くない料金だし
どちらかというと定年後の夫婦向け。

 11日関空にて長旅を共にするみんなと顔合わせ。
一人イケメンがおりました。どうやら一人旅。
ホントにカッコよかったんだけど、その風貌はどうみても学生・・・
あんな明るい色のオシャレうねうねヘアは・・・・と
やはり諦めモードなのでした。(ちなみに母との影の呼び名はボーイ)
背は低くたぶん私より少し高いくらい。私は165cm。

 他のメンバーは50代〜70代の料理教室の
おばさま6人組。さえない55・60歳姉妹(30代に見える)
ガチンコ金持ち3人家族(娘21才)
65歳仲良しチャーミーグリーン夫妻。
話好きの奥さんに
地蔵のようにだんまりの旦那60前後(けたたまし夫妻)
そして私たち母娘。

 最初ドイツの名所旧跡を転々としました。
2日3日目になってそのボーイとやたら目が合う。
ありがたいし正直うれしいけど・・・21・・・
しかも金沢の大学。ツアーでガイドさんについて歩く時でも
常にすぐ後ろにいるし。食事の時も一緒のテーブルに来るし。
うーーん、どうしても7歳差の壁は厚い。
男女逆ならいいけどなあ・・まだ。

 いろいろあって最終日のウィーン午後自由時間に
けたたまし夫妻とボーイで夜コンサートに行くことに。
有名なザッハトルテを食べたい、という目的も
けたたまし夫妻と一緒だったのでなぜか5人で
ホテルザッハーにてアインシュペナー(ウィンナーコーヒー)と
ザッハトルテを食べに行って。その後けたたまし夫妻は
ゴッホ展を見に行くので、と別行動。ボーイは私たちに
ついてくる、というので一緒にウィーン市内散策。

 私の母はお嬢様育ちなのは知っていたけど、
28歳になって母と初めて二人旅をして今まで知らなかった
母の性格がよくわかった。やはりお嬢様育ち!!
全然しっかりしてなかった。どこかぽわんとしてるというか。
そしてマイペース・案外せっかちなところもあった。
普段とてもしっかりしてるように思えたけど、
こういう所に来ると素の部分が出るもんみたい。。。
 
 なので地図の読めない私が一生懸命見て
王宮にたどり着いた。そこを見学。その後はボーイが
ひたすら地図を見て案内してくれた。本当にそれは助かった。
彼がいたからほぼガイドブックにある名所を制覇できたけど、
私たち二人ならたぶん迷ったりあっち行ってはこっち行ってで
大変でそれは成し遂げられなかったと思う。

 一日を一緒にするとある程度の性格というのは見えてくる。
真面目・少し頑固・自分から積極的に話せない(消極的)少食

 実はずっとどしゃぶりの雨で台無しだったこの旅行。
最終日だけは曇りだったものの雨だけは免れた。
そしてウィーンを制覇できた(と思っている)ので
終わりよければ・・・ではないけど満足は出来た。
母も念願のウィーンに喜んでいた。

 その後けたたまし夫妻と合流し、ニューイヤーコンサート
有名な学友教会でのコンサートを見た。
 
 帰路にて。乗り継ぎのアムステルダムで3時間半の
待ち時間があった。行きにもそこで4時間待ちだったので
特に目新しいものがなく時間をもてあました。
母とベンチに座っていると、後ろにボーイが座りに来て
母に「ヒマですよね。何したらいいかわかんないっすよ」と
言って腰掛けた。私は側の店にあったチーズを見に行った。
数分後戻ってみたら母は寝ていてボーイはじっと座っていた。
なので母を起こし、その場を去った。
母はボーイに「じゃあ、私たちあっち行って来るから。じゃあね」
「あ、はい」ニコリ。そのまま関空で一言も会話することなく別れた。

 母は「あの子ももっといろいろ話してきてくれたらいいけど
黙ってるし、どうしたらいいのかわからない」と言っていた。
私も誘ってもいいけど、一人の気楽さと他人への気遣いが
あり、ありがた迷惑かも、という思いもあり特に何もしなかった。
今になってみればかわいそうなことをした。
後ろに座ってくる、ということはさびしかったんだ。
一緒にいたかったっていうことだった。

 何だかそれもひとつの悔いになって残ってしまった。
最終日にみんなで撮った写真を送るから、と住所を
聞いた。だから手紙と一緒に送ろうと思うので何とかそこで
挽回したいな。もう二度と会うこともないと思うけれど。

 21歳の男の子というのはやっぱり28歳の私から見ると
とても頼りない所があり、やっぱり子供なんだな、と思ったけど
この旅にひとつの華を添えてくれた。彼がいてくれてよかったと思う。