おじいちゃんの姿

 私は27歳にしてまだ
4人ともおじいちゃん・おばあちゃんがそろっているという
事をとてもありがたいことに思っており、
そしてとてもうれしかった。
それがついに先月末終わりを告げた。

 6/29(日)21時前に帰宅。
玄関に入るなり母が
「メール見た?」
「見てない。何?」
「おじいちゃん、死んだって」

 おじいちゃんは父のお父さん。
今年の1/3に90歳になった。
私が小さい頃は沖縄出身らしく
骨太で肩幅も広く、ごっつくて色黒の
本当に強そうな人だった。
 それがいつの頃からだろうか・・・
私の感覚ではこの5年以内のこと。
急にやせた。その時の衝撃は忘れられない。

 1年を通しても必ず会いに行くのはお正月・
お盆くらいで他は本当を入れても5回満たない。
よく遊びにおいで、もう一人でも電車で泊まりに来れるだろう、
そう言われつつ、正直な話、おじいさん達人と1日を


過ごすよりも友達なんかと遊ぶ方が楽しく、
結局1度位しか行かなかった。

 そんな数回のうちの1回、
何ヶ月かぶりにたずねてみると
庭にあるベンチに腰掛けて日光浴をしている
おじいちゃんがいた。
いつも通りのうれしそうな笑顔だったが
あまりに急激に痩せてしまっていて
驚きとそれ以上に押し寄せたのはショックだった。
 そしておじいちゃんには私が中学・高校生くらいに
なった頃からきまって私に言うセリフがあった。

 
「○○しゃん(さん)、結婚しないのか?」
「いやいや、まだ早いって」
「おじいさん、生きてる間に○○しゃんの
花嫁姿みたいなあ。」

 そして私が大学生にもなると

「○○しゃん、結婚せんのか?
おじいさん、生きてる間に
○○しゃんの花嫁姿見れるかなあ」
「いやいや、まだ早いって」

 微妙にニュアンスの変わったその言葉。
そして私が社会人になった頃には

「○○しゃん、いつ結婚するんや?
おじいさん、生きてる間に
○○しゃんの花嫁姿見れるかなあ。
無理やろうなあ・・・」

 と ものすごく悲しそうな表情を浮かべていた。

 そして私の気持ちも時の経過とともに変わった。
学生の頃は「まだ早いって」と楽観的。
そして社会人の最初の頃は内心
「うるさいなあ!!そういうデリカシーないこと
今時いわんといてほしいわ」と
時代が違うんだし、結婚がすべてみたいに
言わないでよ、とお怒りモードだった。

 そしてある時、このセリフを言うおじいちゃんの姿が
急激に痩せていたので、私は今だかつてない深い暗い気持ちになった。
それはおじいちゃんの望みを私は叶えてあげられないかも
しれない、いや、きっとそうなるだろう、と
半ば確信的なものがあったから。
 そりゃあ、私も出来る事なら望みは叶えてあげたい。何でも。
でもこればかりは私の都合もある。
もしかしたら一生結婚できない可能性もある。
 
 そんなおじいさんがとうとう亡くなった。
最初、それを聞いた私は何て薄情だっただろうか。
ショックではあったがそれほどでもなかった。
「まあ、90歳だし大往生。
最後も痛みなどに苦しむことも無く
安らかに逝けたんだからよかったじゃない」などと。
 その時の私の気持ちを今の私が客観的に分析するならば、
入退院を繰り返し、その度に元気に回復していたおじいちゃん。
何だかそのおじいちゃんがもうこの世に存在していないだなんて
全く信じられず、実感が全くわかなかった。
ゆえに悲しみの気持ちがわかず、淡々としていた。
しかし自分でも自分の非情さに嫌悪感があった。

 友引の関係もあり、
7/1(火)通夜
7/2(水)葬式

 仕事をはや引きし、通夜に参加。
初めて親戚が一堂に会した。
本当に久々に見る面々ばかりで楽しかった。
控え室の広い和室に入った時、本当にうれしかった。
真ん中のふすまが閉まっていた。
今、葬儀屋の人がおじいちゃんの遺体を
お風呂にいれ、キレイにしているところなので
開けてはならない、といわれた。
未だ見ぬおじいちゃんの遺体。
しばらくしてふすまが開けられた。
お気に入りの服に身を包み、死化粧を施されていた。
頭にあるおじいちゃんの顔とは少し違っていた。
 私ってやっぱり一番似てるのはお父さんでも
お母さんでもなく、このおじいちゃんだ、改めて思った。
 でも私と違い鼻筋が結構通っていることに
この時初めて気付く。こんなにまじまじと
顔を見たことはなかった。手をお腹あたりで
重ねていた。触ってみると冷たい。でもやわらかい。
私は死後硬直っていう言葉通り、マネキンの如く
カチカチでそして氷のように冷たくなるものだと
思っていた。常温で大丈夫なように
ドライアイスが仕込まれているらしい。
 何だか眠っているようだ。今にも
「○○しゃん」と笑顔で起きそう。
私は涙なんて出る気配がこれっぽちもなかったが
親戚の人は泣いていたりした。そしてますます
自分はなんて薄情な人間なんだ、と思い
おじいちゃんの私に向けられた
優しい笑顔を思い出す度に胸は痛んだ。

 小さい白の器に硬い葉が水に浮かべられていた。
親戚が遺体を囲み、それをまわしていく。
順番に葉で唇を湿らせる儀式が行われた。

 そしてとうとうそれが終わると棺桶がやってきた。
係りの人の「男性の方、ご協力お願いします」
入れられたおじいちゃんはガタイがいいので肩のところが
すごく窮屈そう。
おじいちゃんが生前愛用していたものや、好物を
棺の中に入れる。あの世への旅が重くならないように、と
足にものを置く事はいけないらしい。
 白い綿のようなものでおじいちゃんの顔の部分だけを残し
ミイラの様に体が包まれた。そしてとうとうふたが閉められた。
「故人様とお会いになれるのは明日の葬儀後で
終わりです。棺桶を閉めて火葬場に持って行って
からは開けることができませんので、ご了承ください」

 じわじわとおじいちゃんは
やはりもういなくなってしまったんだ、と
いう事実が染み込んでくるようだった。

 私のお父さんは長男なので喪主を務めた。
喪主の子供だからか一番年長の孫だからか、
私は他の親戚をさしおいて
父・おばあちゃん・母・私・弟 が一番前の
席に座った。遺影のにこりと微笑むおじいちゃんを
凝視する。「本当にこの人はこの世にいないのだろうか」
信じられない、という気持ちはまだまだ強かった。
よく私は世界で起こった仰天ニュースの番組を見る。
時々、死んだと思って葬式していたら
棺桶からムクッと起き上がってきた、という
話を聞く。そうなるんじゃないだろうか。

 通夜は終わり、帰宅。
まだまだ信じられない気持ち。


 葬式のために朝から会場へ出かける。
この日は弟は学校の都合でどうしても来られなかった。
上の弟も四国の大学で
「入院中もお見舞いに行けなかったから
どうしてもお葬式には行きたい!!」と
言って私や両親とモメたが、父の説得に最後は折れた。
弟は本当に気の優しい子なのでいくら事情があるとはいえ
自分だけお見舞いに行けず、生きている姿を
最期に見ることも叶わず、せめて焼いてしまう前に
おじいちゃんの姿を見ておきたかったらしい。
けれど今はテスト期間中で帰省することは即留年を
意味する。断腸の思いで首を縦に振った。
私はせめて写真だけは、と思いカメラを持参した。

 お葬式は始まった。
昨日いた弟が今日はいない。何だかとてもさびしく、
何故だか心細く、
母に意味無く「○○ちゃん、今日いない」と
何度も言っていた。あの気持ちはなんだろう。
お焼香の時に順に名前が呼ばれたが、
昨日いた弟の名も呼ばれた。その時にやたらと
嬉しい気持ちがこみ上げてきたのはなんだろうか。

 痛感した。お通夜とお葬式は別物だ。
まずみんなの醸し出す空気・雰囲気が全く違う。
それにのまれたのだろうか。
お坊さんのお経が始まって
一気におじいちゃんの死を受け入れた。

 おじいちゃんはもういない、
もう2度とあの優しい笑顔を見ることはできない。
私は心底後悔した。
どうしてもっと会いに行ってあげなかったんだろう。
どうしていつだってプライベートを優先したんだろう。
どうしてもっとおじいちゃん孝行できなかったんだろう。
どっと流れ込む後悔の念に耐えられず私は
ぶわっと涙が出てきた。
 前夜の通夜で一切涙の影もなかったので
大丈夫だろうとハンカチをカバンに入れてきた。
手で一生懸命ぬぐっていると
お父さんの弟(次男)が白いハンカチを差し出してくれた。
自分だってお父さんが亡くなっていて使うだろうに
私に渡してくれた。今までこの人と話したことは
ほとんど無かったけれど、今回この人がとても
優しい人だということを知る。
 その最たるは、おじいちゃんは沖縄出身で
生前よく沖縄に帰りたい、と言っていたそうだ。
でも今更帰るところもない。親兄弟はみんな亡くなっている。
沖縄のあの独特の音楽をカセットで聴いたりして
その望郷の思いを慰めていたそうだ。
そして今度そのおじいちゃんの生まれ故郷に行って
骨を少し海に流して来ようと思う、と言っていた。
感激した。

 お焼香も済み、とうとう棺が閉められる。
葬儀屋の女の子が
いろいろな花の入ったかごを腕にかけ、
ランダムに束にして順に配っていった。
私はその花たちを見た瞬間、
「あ!私あのオレンジの花を入れてあげたい!!」と
思った。ところが順に来て私に渡そうとしたのは
全然違うゾーンにあったキレイな白い花。
「こんな所で違う、それにして、と
ダダをこねるのもなんだし、気持ちを
込めておいてあげればいいか・・・」と
あきらめていたら、最後にそのオレンジの花を
入れてくれた。
「おじいちゃん・・・」
私は霊的なものなんて全く信じない現実的すぎる
性格だけれど、勝手な事におじいちゃんの
意志を感じた。

 花を入れる時、誰もかれもが泣いていた。
私はおじいちゃんの頬や額を何度も何度も触った。
これ最期だなんて。涙が止まらなかった。
みんなのいるところで写真を撮った。
おじさんたちは事前に撮りたい旨を説明していた
事もあってか、みんなをどかせてくれたり
協力してくれた。弟たちに最期の姿を見せたい、
自分のためにも残しておきたい。
 名残惜しいがもうふたをしめます、と
係りの人が言う。みんなスッとよけるが
おばあちゃんだけは
「おとうさん、おとうさん」と
泣きながらすがるように棺桶にすがりついていた。
それをなだめながら引き離そうとする
お父さんら息子たち。それを傍から見ていると、
おばあちゃんのおじいちゃんへの愛情が
溢れていて辛かった。

 火葬場へ行くバス内でも涙は止まらなかった。
自責の念と悲しみでいっぱいだった。

 遺族の気持ちとは裏腹に作業は淡々と
至極効率よく進められていく。
 お棺が火葬する穴につながる台に乗せられた。
徐々に向こうへ行くお棺。
完全に入った後、ゆっくりと鉄の戸が上から下に
下りたいく。それは同時におじいちゃんとの
本当のお別れを比喩しているようだった。
完全にその戸が下りた時、おじいちゃんは
向こうに行ってしまった、と感じた。

 焼き終わるまでの数時間、葬儀会場に戻り昼食を摂る。
傍らにはおじいちゃんの遺影と同じ写真が
小さい写真たてに入って置かれている。
みんな明るく話をしていた。でもおじいちゃんの
思いで話ばかりだった。

 数時間後、また火葬場へ行く。
出てきたのは当然だけど骨。
私は物心ついてはじめてのお葬式。
なのでわかっていなかった。
骨って人体模型のようにキレイに
焼けて出てくるとおもっていたけど、
実際は相当崩れている。もしかしたら
老化や薬のせいかもしれないけれど。

 職員の人がこれはどこどこの骨です。
とひとつひとつ取り出し、遺族に順番に
骨壷に納めさせた。骨を見るみんなは
からっとしていた。
私は。
まださっきまでは起き上がりそうな
気がしていたけれど、完全にこうなってしまった・・・と。

 帰りのバスでも涙が止まらない。
浮かんでくるのはおじいちゃんの
優しい優しい笑顔ばかり。
そしておじいちゃん孝行をあまりに
できなかった自分に対する憤り。

 家で倒れて救急車で病院。
何度かこんなことがあった。
今回は本当に危ない・もうこれが最期だと
聞かされていた。最初は昏睡状態で意識がなかった。
お見舞いに父と下の弟といった時、おばさんも来ていた。
いびきのような息を上げていた。
おばさんが
「○○きたよ。お父さん、起きて」
父が
「オヤジ、お見舞い来たで。起きてや」
と耳元で大声で囁いても反応はなかった。
 おばさんに
「○○も何か言ってあげてよ」といわれ、
「おじいちゃん。あたし来たで。起きて」と
言うとゆっくり目を開けた。
そして私を確認し、すぐまた眠りについた。
父は
「やっぱり孫の力は絶大やな」と笑った。



 そういえば6月の半ばだったろうか。
生前会うのが最期となった病室の
ベッドでおじいちゃんは泣いていた。
号泣だった。予期せぬ人が見舞いに来てくれていたのに
感激したらしい。その人の手を両手で握り締め
言葉を発すことはできなかったが
「ありがとう、ありがとう」という気持ちでいっぱいに
なっていた。
 その人が帰ってから私に
また号泣し、そして言った。

「○○、変な男に捕まるなよ」 と何度も。
「大丈夫やって」と
死を予感しつつも、予想だにしていなかった私は
軽く返事した。

 今思えば、10年以上私に言い続けてきた
「おじいちゃん、○○しゃんの花嫁姿みたいなあ」
もう叶わないってわかってたんだなあ、と。
私のいとこが20歳くらいでプー太郎のヤツに
ひっかかり、妊娠し、多分認知もされないまま
出産したのでそのセリフだったんだろうと父は言う。
今そのいとこは23歳。前途多難だ。
  そのおじいちゃんの気持ちを考えると・・・
この文章をしたためながら涙が抑えられない。
見せてあげることができなくてごめんなさい。

 この時も悠長に話すことはできなかった。
水も絶対に飲んではいけない状態。
本当にのどが渇いていたらしく、
ジェスチャーで必死におとうさんに
水を飲ませてくれ、と懇願していた。
指さす先には患者につなぐチューブがあった。
おじいちゃんの位置からすると
水に見えたのだろうか。
「オヤジ、これは水ちゃうで。ほら。
この(オヤジが今つながれてるのと一緒の)管やな。
ほら、ここに飲んだらあかんて書いてあるわ」

 そこには「水、飲ませないでください」のような
事が書かれた紙が貼られていた。
肺炎だったからか飲み物はダメだったらしい。
それでもおじいちゃんは「お願い」という
感じだったが、おとうさんは「あーかーん」と
優しくいい、「水飲んだらあかんて。わかった?」と
言われ残念そうに「うん」とうなづいた。

「またくるからね」と言い残し、友達と遊ぶために
大阪へ出かけた。父に最寄駅まで送ってもらった。
その最期もおじいちゃんはうんうん、とうなづき
私を笑顔で見送った。友達の約束なんてせずに
もっと一緒にいておけばよかった。
本当に私はバカだ。
今いくら後悔したって遅すぎた。

 火葬も全部終わり父がポツリと
遠い目をして下を向き笑顔で言った。

「あの時、水飲ましてやればよかったなあ・・・」